夏を滅ぼして建国。紀元前1122年に、『竹書紀年』によれば28代644年(『史記』によれば30代508年)で周に滅ぼされた


歴代帝王(子氏)

即位年(BC) 没年(BC) 解説
湯/成湯せいとう 1765 1753 高后ともいう。契の子孫。名は履または天乙。在位13(12)年
外丙がいへい/卜丙ぼくへい     太丁の弟。『竹書紀年』では歴代の王に含まれない。在位2年
仲(中)壬ちゅうじん     外丙の弟。『竹書紀年』では歴代の王に含まれない。在位4年
太甲たいこう 1752 1720 太宗・一興。太丁の嫡男。在位33(12)年
沃丁よくてい 1719 1691 太甲の子。在位29(19)年
小庚しょうこう/太(大)庚たいこう 1690 1666 沃丁の弟。在位25(5)年
小甲しょうこう 1665 1649 小庚の子。在位17年
雍己ようき 1648 1637 一衰。小甲の弟。在位12年
太戊たいぼ 1636 1562 中宗・二興。雍己の弟。在位75年
仲丁ちゅうてい 1561 1549 太戊の子。在位13(9)年
外壬がいじん 1548 1534 仲丁の弟。在位15(10)年
河亶甲かたんこう 1533 1525 二衰。外壬の弟。在位9年
祖乙そいつ 1524 1506 三興。河亶甲の子。在位19年
祖辛そしん 1505 1490 祖乙の子。在位16(14)年
開甲かいこう/沃甲よくこう 1489 1465 祖辛の弟。在位25(5)年
祖丁そてい 1464 1433 祖辛の子。在位32(9)年
南庚なんこう 1432 1408 開甲の子。在位25(6)年
陽甲ようこう 1407 1401 三衰。祖丁の子。在位7(4)年
盤庚ばんこう 1400 1373 四興。陽甲の弟。殷へ遷都した。在位28年
小辛しょうしん 1372 1352 四衰。盤庚の弟。在位21(3)年
小乙しょういつ 1351 1324 小辛の弟。在位28(10)年
武丁ぶてい 1323 1265 高宗。小乙の子。在位59年
祖庚そこう 1264 1258 武丁の子。在位7(11)年
祖甲そこう 1257 1225 祖庚の弟。在位33年
馮辛ふうしん/廩辛りんしん 1224 1219 祖甲の子。在位6(4)年
庚丁こうてい 1218 1198 馮辛の弟。在位21(8)年
武乙ぶいつ 1197 1194 五衰。庚丁の子。河北に遷都した。落雷で死亡。在位4(35)年
文丁ぶんてい/太丁たいてい 1193 1191 武乙の子。在位3(13)年
帝乙ていいつ 1190 1154 文丁の子。在位37(9)年
帝辛ていしん/受紂じゅちゅう 1153 1122 帝乙の正妻が産んだ末子。紂は諡号(名ともいわれる)で、名は辛または受。在位33(52)年

王族・后妃

名・号 生年(BC) 没年(BC) 解説
太丁たいてい     湯の嫡男
箕子きし     帝乙の弟。箕子は「箕という国の子爵」という意味。名は胥余。箕子朝鮮を建国。89歳で没?
比干ひかん   1122 帝乙の弟。箕子や微子とともに「殷の三仁」と呼ばれる。
微子びし     宋の開祖。帝乙の庶長子。微子は「微という国の子爵」という意味。本名は開だが、『史記』では前漢の景帝の諱を避けて名を啓としている。武庚没後も存命
妲己だっき   1122 受紂の愛妾
禄父ろくほ     受紂の子。名は武庚。周の成王に討たれた
inserted by FC2 system